「当たり前」が違うこと
ちょっと身バレ疑惑があって隠れておりましたが、心配ありませんでした…よかった。
この何日間かで進展があり、その記録です。
前提として、彼と私は比較的離れた場所に暮らしており、平日会うのが難しいです。それに加えて、休みは一方が暦通り、もう一方がシフト制という状況で、結果的にひと月に会えるのは2度程度。プチ遠距離とでも言うような感じ。
で、この前の土日は2週間ぶりに彼と会いました。前回の更新はその合間に電話で話したこと。なので、会っているときは学会の話はほぼしませんでした。夜ごはんを食べているときに、「お互いに尊重しあっていきたいね」という話をした程度。あくまで前向きな話です。
そして今後の予定について。私が現在実家住まいで彼よりも年下ということもあり、両家への挨拶は少し間を取ろうか、ということになりました。上記記載通り、お互い仕事の都合もあるので、ゆっくりと進めていこうと。夏頃挨拶、秋頃に同居開始、入籍。式は来年の春以降。
…それまでに、いろんなことの覚悟を決めなければいけません。
実は、家族にプロポーズされたことを話していませんでした。プロポーズとカミングアウトがほぼ同時だったので、私の中で考えをまとめる必要があると思いました。
前回の記事通り、ある程度まとまったのでまずは母に相談しました。「プロポーズされたんだけどね、創価学会の人だったの」と。母と彼は一度だけ会ったことがあります。「ええええ!!」と声をあげて驚いていました。そりゃそうだ。
母はどちらかというと楽観的な性格(年取ってそうなった、と)なので、色々心配ごとはあるものの、二人がいいならいいんじゃない、と言っていました。最初は。
報告の翌日の夜、会社から帰ってもう一度母と話しました。母も、ネットでいろいろ調べたみたいです。基本的にネットで最初のほうに出てくるのは学会の悪い噂と評判です。…「彼だけでも脱会することはできないの?」と言われました。
それが出来るなら、こんなに悩んでないんだよママン。*1
あくまで、彼は私たちに強制する気がないんだって。「そりゃ、今は結婚前の恋人同士の関係だからそう言うよね。いざ結婚したら覆されるかもしれないじゃない」。
おっしゃる通りです。
そういうことを書面で取り交わす人もいるみたい。「それをして本当に家族になれるの?そもそも、自分のこと信用してないじゃないかってサインなんてしてくれないよ普通」
おっしゃる通りです。
それでも、私の母はだいぶ寛容だと感じました。別れろ、とは一言も言わなかった。それに、「これがキリスト教の人で、毎食前には祈りを捧げたり日曜朝はミサに行かなきゃダメって人でも同じように感じたのかなあ…」と、ある程度、自分が学会に対して差別的な見方をしてしまっていることを自覚していました*2。
母は選挙活動の電話を受けたことはあるものの、熱心な信者からの折伏等で迷惑をかけられたことはないとのことでした。あるのは、世間一般に広がる懐疑的な見方、捉え方。私と同じです。というよりも、そういう母に育てられたのだから私も懐疑的になった、という方が正しいかもしれませんね。
反対はされませんでした。ただ、賛成もされなかった。
私の母は、「当たり前が違うって大きいよね」と話していました。彼は生まれたときから傍らに学会があって、ひとつの宗教と寄り添っていくことが「当たり前」。一方私は、お宮参りや七五三、初詣を神社で行い、クリスマスもお祝いすれば、お葬式は仏教。「こういう時期・イベントはここでやるよね」という、信仰心というより、日本の文化に寄り添っていくのが「当たり前」。人生のいろんな節目に行われる出来事に対する「当たり前」が違う。
私の今ある不安は、全部そこに尽きるんだと思いました。自分の「当たり前」が崩されることへの不安・恐怖。…そして、それは彼にとっても同じであること。
長くなったのでここで一旦切ります。次記事で、彼にぶつけた「当たり前」が違うということについて、私がなんと伝えたか、そしてそれに対して彼がなんて言ったか。
割とひどい伝え方をしてしまったと自覚していますが、後悔はありません。素直に感じていたことを伝えました。
詳細は次回。おやすみなさい。